仮想橋さんで フェアプレイについての記事があがっています。
オンラインゲームとフェアプレイ ゴルフに見るその精神
その中で紹介されているのがゴルフの規則という項目です。
財団法人 日本ゴルフ協会 2007年度版 JGAゴルフ規則
はじめに
この章ではゴルフゲームはどのようにプレーされるべきかというゴルフのマナーについてのガイドラインを規定しているが、これが守られれば、プレーヤーがみなゴルフを最大限に楽しむことができるだろう。この章全体に通じる基本的な考えは、コース上にいる他の人に対しても常に心をくばるべきということである。
ゴルフの精神
他の多くのスポーツと違って、ゴルフはほとんどの場合審判員の立ち会いなしに行われる。また、ゴルフゲームは、プレーヤーの一人一人が他のプレーヤーに対しても心くばりをし、ゴルフ規則を守ってプレーするというその誠実さに頼っている。プレーヤーはみな、どのように競い合っているときでもそのようなことに関係なく、礼儀正しさとスポーツマンシップを常に示しながら洗練されたマナーで立ちふるまうべきである。これこそが正に、ゴルフの精神なのである。
ルールはあるが基本的にプレイする人のモラルにゆだねられた
紳士のスポーツゴルフ
実は今まで良く知らなかったんですけど
ゴルフには審判にあたる存在がいないんだそうです。
規則などをがっちりつくり審判をおいて不正が行われないようにする
…規則にがちがちに縛られて不正が防がれたとして
果たしてそれで参加している人は紳士であるといえるでしょうか?
そのうち 「だって規則に書いてないもん」 とかいいつつ
芝生をちぎるやつとか
バンカーで砂のお城を作るやつとか出てくるわけですよ
注意しても「規則に書いてないだろ」とか言うわけです
そしてガチガチな規則は膨張していきます
「芝生をちぎってはならない」
「バンカーで砂のお城を作ってはならない」
この段階でもかなりおかしいんですけど
さらに斜め上を行くものが出てきます
30㎝×30cmの範囲をちぎっておきながら
「風向きを見ようとしてちぎっただけだし」
「砂のお山ならいいでしょ?書いてないし」
しょうがないので規則を追加します
「風向きを見るのにちぎっていいのは
一回につき3㎝ 3本までの草で
1ホールの間に5回までとする」
「バンカーで砂遊びをしてはならない」
どんどん規則は細かくなるか
広い意味になって行きます
細かくなっていった規則はその判断をするのにもめるようになり
「Aさんが今ちぎった草は4㎝あったぞ!違反だ!失格だ!」
「遊びじゃないんです芸術なんです
バンカーの砂で作り上げるサハラ砂漠のミニチュアです!」
草の長さ1㎝について判断し罰則を与えなければならない
審判はさぞやか情けない気持ちでこんな顔になってるでしょう(´・ω・`)
一方バンカーに居座る芸術家wはどんな説得にも応じず
自分がやりたいからする自分は客だなにしてもいいんだと
主張し続けやりたいようにやりますこっちもまた(´・ω・`)
そして膨れ上がった規則があっても
参加する人がすべてを把握することが難しくなっていき
「なにか間違っていたら審判が言うでしょ?
言われないってことは間違ってないんだよ」とかいって
規則を読みさえしないで楽しい部分だけ
味わおうとする人とか出てきたり
バンカーから始まった論争はプレイにまで及び
ボールを打つ以外の動作が細かく制限され
ミステイクでちょっと違う動きをしただけで
失格になってしまったりとか
まさに混沌
こんな状態でゲームを楽しめるわけもないし
それで胸をはって紳士のスポーツですなんて
言えるわけもないです
いや紳士どころかゲームが崩壊してます
じゃあどうすればいいかっていうと
参加する一人一人がモラルを持ち
大人の了見を持ち不正を許さず
みんなとゲームを楽しもうとする姿勢を持つ
厳格な管理が必要なわけでも
強制できる力が必要なわけでもないと思います
何が言いたいかって言うと
これってゴルフにだけかぎったことじゃないんですよ
ROだってそうだし
普通の社会生活だって同じです
誰かに言われなくても
いい事と悪いことはキチンと把握している
これが社会に出るための基本です
この基本ができていない
ましてや 基本があることさえわからない人間は
社会に出てきていい規準に達していないんだと思います
社会とかいうな?
たかがゲームだろ?
そんな声も聞こえてきそうですが
ゲームってただの遊びではなく
ルールを守ることを覚えるための学習でもあるはずです
少なくとも一緒に遊ぶ相手がいるのであれば
そこは社会ですよ。
そしてモラルや常識は生まれもっているわけではなく
いろいろな経験から学んでいくものです
学ばなければ身につかないし
学ぶ気が無ければ教えられたって右から左へ受け流されるだけです
よく「ゲームをした時間が無駄だった」とかいいますけど
無駄になったとしたらその時間をすごした人の責任です
どんな状況でも人間学ぶことは山ほどあるのですから
なんか文章まとまらなくてすみません